ネコの手☆日記 2011年3月

2011年3月24日(木)
計画停電

連日のように計画停電があり、アシスタントさんが来て仕事してるときは
夜に当たると、仕事も大変で、停電中の3時間は休憩にしたり仮眠時間にして
なんとかがんばっています。
停電が回避される日も多くなってはきてますが
まだまだ油断はできませんね。

我が家は、3年前と2年前の夏、雷が多くて停電に備えて購入した
ミニランタンと、3種類の電池が使える懐中電灯が、いま大活躍しています。


昨日から、放射性物質に汚染された水のニュースが流れて
ぜんぜんそんな危険な数値ではない、こちらのスーパーでも
水を買いに走る人が多く、ペットボトルの水は売切れ状態です。
トイレットペーパーやティッシュペーパーや電池、普通に買っていれば品薄になることもないのに
こういう状況だと、ついつい買占めという安心に走ってしまう人も大勢出てきてしまいますね。
どうかあわてず、本当に必要な人に必要な物が届くようになりますよう。
そして今日も、ちょっとでもできること、節電に努めましょう(^-^;)

2011年3月15日(火)
静岡県東部で震度6強
東北関東大震災から4日、連日余震が続くなか
割と近く、静岡県東部で震度6強の地震がありました。
私の住んでるあたりは震度4でしたが、5くらいあったんじゃ?みたいな強い揺れでした。
でも、今回の地震は一瞬で、長くは揺れず、我が家は被害もありませんでした。
変な話、毎日のように余震があると、慣れてきてしまうというか(よくはないのでしょうが)
自分がめまいでふわふわしてるのか、本当に地震なのか
わからなくなっちゃったり・・・(-_-;)
この地震のさなか、すぐそばにいたもみじは・・・
寝てました。。。

停電することもなく、すぐにツイッターや掲示板にご心配いただいたみなさまにも
もみじの様子を伝えて、安心していただきました。
どんなときにも「癒し」は大切ですね(*^-^*)


11日にも、ご心配くださり、掲示板に書き込んでくださったみなさま、本当にありがとうございました。
停電していたため、掲示板に無事をお知らせできたのは翌日になってしまいましたが
停電のさなか、携帯は通じていたので、携帯からツイッターに書き込んだのを
掲示板でほかのかたがたにお知らせくださったかたもいて、本当に感謝です。
こういうときにツイッターや、ネット環境というのはすごいなぁと実感しました。
2011年3月14日(月)
3.11 東北関東大震災

3月最初に書く日記が大震災のことですが
自分の記録としても、ちゃんと記憶しておくためにも
書いておこうと思います。


11日午後2時46分

三陸沖を震源とする国内観測史上最大の巨大地震が発生
「東北地方太平洋沖地震」と名付けられました。
気象庁は13日正午過ぎ、地震の規模を示すマグニチュード(M)を8.8から9.0に変更。

M9.0!
想像を絶する規模です。

そのとき私は仕事場にいました。
ゆらゆらと揺れ始めたときは、いつもの地震くらいに思ったのが
なかなかおさまらないどころか、どんどん大きくなる。
縦揺れではなく船酔いしそうな大きな横揺れなので
遠い場所が震源地だ、と思ったものの、とにかく揺れの時間が長い!
ようやく揺れが収まるかと思ったら全部の電気が一度に消えました。
照明もテレビもパソコンも消えてしまったので状況がわからず
一緒に仕事をしててちょうど帰宅の支度をしてたアシさんが
携帯ですぐに確認、震源地が三陸沖とわかりました。
そのときはM8.8とのことで、それでもあまりの大きさに呆然としました。

けっこう頻繁に小さめな地震(震度2〜3)のある地域に住んでるのですが
ここまで大きいのは初めてでした。
あとから自分の地域は震度4と報じられましたが、以前に体験したことのある震度4より
かなり大きかったような体感でした。
時間が午後3時前だったので明るかったのがまだ幸いで
揺れがいったんおさまったところで外に出ると
近所の人々がみな建物の外に出て不安そうにしていました。
お互いに声を掛け合い、現在周囲全体が停電だと確認しました。

停電とはいえ、国道も高速道路も普通に車が走っていたので
そのときはまだ世間が大変なことになってるとも知らず
道路の混み具合などの予測もできないまま
車で来てくれてたアシさんは予定通りに帰宅。
彼女の帰宅ルートには海岸があったため混雑と津波を避けて
途中の親戚の家に泊まり自宅に帰り着いたのは翌日だったそうです。
そんなことも、普通にメールができるようになったあとから知ったのですが。

とにかく、明るいうちに調理などしなくても食べられる物を確保しようと
スーパーとコンビニへ行き、とりあえずの食糧を入手しました。
コンビニでは店を閉めることなく、店長をはじめ店員さんが電卓で計算して
たくさんのお客に対応してくれていました。
みんなパニックになることもなく、パンなどが真っ先に売れてはいましたが
譲り合って、誰かが買い占めるようなことはありませんでした。
幸い、私の住んでいる地域は水道とガスに被害はなく、停電だけでした。
水道が普通に使えるのはかなり心強いです。

まだ、停電が昼間からだった上に、自宅の建物や内部はまったく被害がなかったので
どのくらいの長さになるかわからない停電でしたが、暗い夜を過ごすための準備ができました。
こんなさなかに仕事は無理、と決めて、家族のぶんの食事と明かりとホッカイロを用意して
夜は静かに過ごすことにしました。

たまに夏の落雷などで停電になっても、すぐに戻るので、状況のわかっていない間は
きっとすぐに戻るだろうと、どこかで簡単に思っていました。
ところが深夜を過ぎても電気は一向に戻らず
これは相当大変なことになってるのかな?と不安を感じつつ
災害用の準備に置いておいたミニランタンと懐中電灯とラジオを付けて一晩過ごしました。
その間にも、余震なのか、別の新たな地震なのか、判断できない揺れが頻繁にやってきて
警戒の音がラジオからするたびにドキドキしました。

ラジオから聞こえてくる被害の様子も、すぐに夜になってしまったので
マスコミもはっきりと全貌を把握できずにいるらしく
M8.8という規模と、その後の余震の警戒ばかりが続き
ベランダへ出ると、街灯の消えた真っ暗な町と
暗い中にもくっきりとわかる山々の黒い稜線、
明るい満月に近い月と、こんなにもあったのかと思うくらいの
それは美しい満点の星空でした。

そしてこの夜の満点の星空は一生忘れられない記憶となりました。

翌日の明け方、5時半くらいに電気が復旧しました。
真っ先に付けたテレビから流れる、津波の映像。
これが昨日起こっていたことなのか?本当に日本で起きたことなのか?
疑う余地なく、続けて起こる余震が現実だと答えていました。

その後も続々と明らかになる未曽有の被害の状況。
原発の危機的状況。
連日、テレビはすべて地震の報道で埋め尽くされました。

福島の原発が停止したため
関東地方の供給電力量も大幅にダウン。
節電の呼び掛けと、初めて聞く「輪番停電」という予告のある停電が始まりました。
普段いかに電力に頼った生活をしているのか、痛感します。
けれど、多少の不自由など、被災されたかたのことを思えばなんでもありません。
仕事しながら、なんとか時間のやりくりをしています。
夕方を避けてご飯を炊いたり、冷めても食べられるおかずを早めに作ったり。
一斉に使う時間から一人でも多くずらすだけで、電力の差が出ると思い
小さな節電から始めています。
すぐに電力が元通りになるとは思えません。
長期に渡る節電になるでしょう。
息切れしないよう、できることをできるだけやろうと思います。

そして、被災地のためにできることも。
できること、やるべきこと、役割はそれぞれだと思います。
行動して人命を救うことのできる人もいれば
自己満足で迷惑をかけたりしないよう動かないことも大切。
こういう復興には長い年月がかかる割に、人はすぐに忘れてしまう。
いま、何もできなくても、いつか再び立ち上がり復興しはじめた東北地方に
いまからお金を貯めて、計画して、旅行に行くことだって助けになると思います。
それぞれが自分にできることをしましょう。
助け合い、支えあえる、誇りある日本人であるために。


被災され、亡くなられたすべての方のご冥福をお祈りいたします。
そしていまもなお不便で苦しい避難生活を送られているかたがたに
一日でも早く心安らげる日が来ますよう。
心からお祈りしています。